倉敷ガラス・小谷眞三先生の仕事

「世の多くの作家たちが、美を追いかけて美に逃げられている時、小谷さんは
美を追いかけないでいて、その製品が美しいのはどういうことなのか。」

倉敷ガラス
小谷眞三の仕事

元倉敷民芸館長 外村 吉之介

日本では、明治時代からガラス工業が盛んになって、石油ランプの火屋、笠、薬瓶、金魚鉢や板ガラスまで、工人たちの息で吹いて作っていたのであるが、ガラスは割れ物であるから消費がはげしいので、一方に機械製品が起こって多量の需要に応じてきたのである。

しかし、機械製品の常として、ガラスも材料を極端に惜しみ、型と空気で手間を省くものとなって、どれも薄くやせて冷たく危なげな姿になってしまった。冷たいのはガラスの特徴であるけれども、機械製品の冷たさは、心まで冷やす冷たさである。たとえばコップなど、薄くて寒々としていて口につけたいような親しさがない。だから、ある厚みと重みがあって、潤いのあるガラスが、生活の中にあったらどんなによかろうと、誰もひそかに思いながら、メキシコや沖縄のもので僅かに慰めていたのである。

それが大体四十余年前から、倉敷ガラスが創り出されるようになって、ある厚みと重みと親しさ頼もしさのある日用品が世間に行き渡り、多くの人々を喜ばせ、手工芸の注目の的となった。

工人の小谷眞三さんは、永年のガラス修行の知識と技術を生かして、実用品の使命を思い、工具を工夫し、窯を改装したりして、倦むことがない。

世の多くの作家たちが、美を追いかけて美に逃げられている時、小谷さんは美を追いかけないでいて、その製品が美しいのはどういうことなのか。彼が美しがろうとはせず、只管、用を求めているから美に追いつかれているのである。用即美の法の中で。

彼は仕事をして、我を立てない。柳宗悦の民芸館美輪は彼の血と肉である。先年来、ウィーンや京都で開かれた世界工芸会議でも、彼は職人たることの尊厳を表明して驚かれた。

何にしても、倉敷ガラスは、実生活の中で善と美の実体は一つであることを示していて注目すべき存在である。小谷眞三の人柄もその通りである。

作家経歴

昭和 5年
岡山県後月郡芳井町に生まれる。
昭和39年
水島ガラス創業(スタジオガラス)
昭和41年
「倉敷ガラス」と改名。岡山県民芸協会賞
昭和45年
大原美術館東洋館にステンドグラスを納入する。
昭和52年
日本ガラス工芸協会に入会する。
昭和53年
第八回世界クラフト会議京都大会に参加、発表する。
日本のガラス展出品以後毎回出品。
盛岡市に炉を築く。
昭和55年
第九回世界クラフト会議ウィーン大会参加。
京都近代美術館の「ヨーロッパと日本のガラスの美」に出展。
昭和57年
第一回朝日クラフト展に招待。倉敷市文化連盟賞
昭和60年
岡山県文化奨励賞
平成 3年
総理官邸文化懇親会招待
平成 5年
文部大臣賞(地域文化功労)
平成 8年
倉敷芸術科学大学 芸術学部 工芸家教授就任
平成10年
倉敷ガラス「小谷眞三展」おぶせミュージアム・中島千波館
平成11年
山陽新聞賞(芸術文化功労)
「日本のガラス 二〇〇〇年 弥生時代から現代まで」出展 サントリー美術館
「ガラス工芸 歴史と現在」 出展 岡山市オリエント美術館
平成12年
倉敷市文化賞(文化功労) 東京国際ガラス学院にて実技公開
平成13年
東京古代オリエント美術館「ガラス工芸 歴史から未来へ」出展
平成14年
G・A・S会議出展(アムステルダム)
平成16年
倉敷芸術科学大学退職
倉敷民芸館にて「倉敷ガラス四十周年記念展」を開催
平成17年
日本ガラス工芸協会退会(功労表彰)
成羽美術館にて「倉敷ガラス 小谷眞三展」を開催
平成19年
岡山県文化賞受賞
平成20年
日本民芸館展審査員
倉敷ガラス制作に専念する。
役 職
倉敷民芸館評議員
デンマーク・エベルトフトガラス美術館協力委員
著 作
小谷眞三の仕事・キャンドルスタンド&ワイングラス