
今回の「小谷眞三展」は私がお願いして実現したものですが、ここに来るまでに長い年月がありました。
少し昔話になります。時は、私が小学生の時に遡ります。当時10歳足らずだった私が、たまたま連れて行ってもらったお店に真三先生の作品が飾ってありました。
目に飛び込んで来た深緑色の花瓶や、かわいらしい形のワイングラス。吸い寄せられるように近づいて、手に取りお店の方に声をかけられるまで、ずっと見入っていました。
冷たいはずのガラスの器に感じたあたたかみを、今も忘れず覚えています。何とも言えないその作品たちの佇まいに、感動して、この世の中にこんな綺麗なものがあるのか、と本当に衝撃を受けたのです。
そして、無謀にも私もこんなの作りたい。ガラス屋さんになる!!と決意したのです。
お店の方に、これを作ったのは小谷真三さんという作家さんで岡山県にいるんだよと教えて頂き、何度も先生の名前を呟きながらかえりました。
図書館などで調べてみましたが、調べ方もあまりわからず、先生の情報を知る事はできませんでしたが、ガラス屋さんになる、という決意はずーっと変わりませんでした。
さて、高校3年生、志望校を決めなければならない時期。その当時、ガラスを学べる大学はなく、私は渋々、七宝学科のある大学を受験しようとしていました。
そんな折です、通っていたデッサン教室で、めくっていた資料に、倉敷にガラス工芸コースのある大学ができて、しかも、教授が、小谷真三さんだと書いてあったのです!!
なんてタイミング。きっと小谷先生は私のために教授になったんじゃないの?と自惚れ、舞い上がりました。
もちろん行くしかありません。高3の9月頃でした、渋々行く気だった大学の願書はもう出してあった上に、倉敷の芸大は、今まで一度模した事のない色鉛筆デッサンでの受験でした。
デッサン教室の先生にも、今からは無謀だと呆れられ、両親からも、願書を出して受験料も納めたのに、、と言われましたが、申し訳ない事に全く耳に入りませんでした。
只々、小谷真三先生めがけて一直線です。何年受験してでも倉敷の大学に行く。そう言い続け、我が儘を通させて頂きました。思いの強さが勝ったのか、無事に合格し、倉敷芸術科学大学に入学しました。
いよいよ小谷真三先生に逢える。
やる気満々、情熱満々です。満を持してお会いした小谷先生は、作品そのままの、暖かくてかわいくて、一緒にいるだけで笑顔になれる。素晴らしい方でした。
奥様も、息子さんであり、ガラス作家である小谷栄次さんも、やはり暖かみのある素敵な方たちで、先生の作品が暖かいのは先生はもちろん、支えている皆様も暖かいのだと感じました。
又お前か、と笑われる程、教授室や御宅にお邪魔してはお話を聞き、制作風景を見せて頂き、色々な場所に連れて行って頂き、色々な事を学ばせて頂きました。とても大事にして頂き本当に感謝をしております。
先生の作品に巡り会ってからの私は、美しいもの、藝のあるものに関心を持って生きてきました。そう考えると、私の藝の原点は小谷真三先生なのだと、思っています。
自分で作品を作り、又同じ道を志す友人や、その道の先輩である、作家の先生方の作品を見ているうちに、ギャラリーを作って、この作品たちをたくさんの方々に見ていただきたいと漠然と思うようになって行きました。
そして、冗談のように、真三先生にも、ギャラリーをしたら作品置いてくださいね。絶対ですよ。とお話していたのです。
それから、10年以上の時が流れてしまいましたが、ギャラリーをしたいのだ。とお話したところ、お忙しいにも関わらず、承諾して下さいました。
こうして、この度の小谷真三展が開催されることになったのです。
先生の胸を借りて、記念すべき杮落し展を開催する事が出来ますこと本当に感謝しつつ、私も身を引き締めて、しっかり努めさせて頂こうと思っております